大判例

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東京地方裁判所 平成3年(モ)6187号 判決

大阪市北区堂島浜一丁目二番六号

債権者

旭化成工業株式会社

右代表者代表取締役

弓倉礼一

右訴訟代理人弁護士

花岡巌

阿部正幸

唐澤貴夫

木崎孝

名古屋市東区葵三丁目二四番二号

債務者

大洋薬品工業株式会社

右代表者代表取締役

新谷重樹

東京都板橋区舟渡二丁目八番一六号

債務者

株式会社科薬

右代表者代表取締役

持塚洵

東京都中央区京橋三丁目六番二一号

債務者

シオノケミカル株式会社

右代表者代表取締役

塩野谷貫一

右三名訴訟代理人弁護士

富永義政

江上千恵子

有賀信勇

右輔佐人弁理士

西澤利夫

主文

債権者と債務者大洋薬品工業株式会社間の東京地方裁判所平成二年(ヨ)第二五五八号特許権仮処分申請事件について、債権者と債務者株式会社科薬間の同第二五八八号特許権仮処分申請事件について、債権者と債務者シオノケミカル株式会社間の同第二六一八号特許権仮処分申請事件について、いずれも同裁判所が平成三年六月五日になした各仮処分決定は、いずれもこれを認可する。

訴訟費用は債務者らの負担とする。

理由

第一  申立ての趣旨

一  債権者と債務者大洋薬品工業株式会社間の東京地方裁判所平成二年(ョ)第二五五八号特許権仮処分申請事件について、債権者と債務者株式会社科薬間の同第二五八八号特許権仮処分申請事件について、債権者と債務者シオノケミカル株式会社間の同第二六一八号特許権仮処分申請事件について、いずれも同裁判所が平成三年六月五日になした各仮処分決定は、いずれもこれを取り消す。

二  債権者の本件各仮処分申請をいずれも却下する。

三  訴訟費用は債権者の負担とする。

第二  事案の概要等

一  本件は、債権者が後記二1の特許権に基づき、債務者シオノケミカル株式会社に対し、同債務者が製造しているエルカトニンが特許法一〇四条の推定規定により本件発明と同一方法により製造したものと推定されることを理由に、そのエルカトニン原末の製造販売の差止めを、債務者大洋薬品工業株式会社に対し、右エルカトニン原末を使用して同債務者が製剤した後記二4の薬品の製造販売の差止めを、債務者株式会社科薬に対し、この薬品の販売の差止めをそれぞれ求める各仮処分申請をし、それに対して平成三年六月五日これらを認容する仮処分決定がされ、債務者らがこれを不服として、異議を申し立てた事案である。

二  争いのない事実及び疎明資料により認められる事実

1  債権者は、次の特許権(以下「本件特許権」といい、その発明を「本件発明」という。)を有する(争いがない)。

(一) 登録番号 特許第〇九六〇四六二号

(二) 発明の名称 新規ポリペプチドの製造法

(三) 出願年月日 昭和五〇年五月一日

(四) 出願番号 五〇-0五二〇六四号

(五) 出願公告年月日 昭和五三年一一月六日

(六) 出願公告番号 五三-0四一六七七号

(七) 登録年月日 昭和五四年六月二八日

(八) 特許請求の範囲(以下「本件特許請求の範囲」という。)「式

〈省略〉

(式中A25は Asp又はAsn、A26は Val又はThr、A28は Ala又はSer をそれぞれ意味する。)

で表される新規ポリペプチドまたはその酸付加塩もしくは錯体を製造するに当たり、式(1)のアミノ酸順序を個々のアミノ酸および2~4個またはそれ以上のアミノ酸からなる低級ペプチドを縮合して構成し、反応の任意の過程で生成された式

〈省略〉

(式中、Rは活性エステル残基を示す)

を含む構成単位を環化反応に付し、前記の縮合および環化において活性基の保護されたものを用いた場合には反応の任意の過程で保護基を脱離することを特徴とする、新規ポリペプチドの製造法。」

(以下、右の式(1)を「請求式(1)」と、式(2)を「請求式(2)」という。)

2  本件発明の構成要件は、次のとおり分説することができる(争いがない)。

(一) 縮合

請求式(1)のアミノ酸順序を個々のアミノ酸および2~4個またはそれ以上のアミノ酸からなる低級ペプチドを縮合して構成すること。

(二) 環化

反応の任意の過程で生成された請求式(2)を含む構成単位を環化反応に付すること。

(三) 保護基の離脱

前記(一)の縮合及び(二)の環化において活性基の保護されたものを用いた場合には反応の任意の過程で保護基を脱離すること。

(四) 目的物質

請求式(1)の新規ポリペプチドまたはその酸付加物もしくは錯体

3  本件発明の前記目的物質は、本件特許出願前に日本国内において公然知られた物でない(疎甲第八号証により認められる。)

4  債務者らの行為(争いがない)

債務者シオノケミカル株式会社(債務者シオノケミカル)は、別紙物件目録記載の「ラスカルトン注一〇」及び「ラスカルトン注四〇」(本件薬品)の原末であるエルカトニンの製造を、債務者大洋薬品工業株式会社(債務者大洋薬品)は、右原末(エルカトニン)を用いて本件薬品の製造を、さらに債務者大洋薬品及び債務者株式会社科薬は、本件薬品の販売を業として行っていたものである。

5  エルカトニンは、本件発明の方法によって生成される目的物質である新規ポリペプチドのうち、請求式(1)中のA25、A26、A28をそれぞれ、Asp、Val、Alaの各アミノ酸としたものであるから、本件発明の目的物質と同一のものである(争いがない)。

6  債務者シオノケミカルの、後記第二の一1記載の疎乙第一〇八号証におけるエルカトニンの製造方法は、本件特許発明の要件の(一)(三)及び(四)を満たしている(争いがない)。

第三  本件の争点

一  本件薬品の原末であるエルカトニンは、債務者らが主張する製造方法によって製造されているか。

1  債務者らの主張

債務者シオノケミカルのエルカトニンの製造方法(債務者製造方法)は、疎乙第一〇八号証のとおりである。

すなわち、債務者シオノケミカルは、エルカトニンの環化部分を別表の3のとおりのアミノ酸の結合体で製造している。その環化の特徴は別表の3の左端セリン(Ser)に(CH2)5COOHを縮合することにあり、かつ、環化反応に際しては、別表の6のとおりのジフェニルリン酸アジド(DPPA)を使用するものである。ジフェニルリン酸アジドを使用して縮合した環化部分は、別表の4のアミノ酸順序による化合物であり、これを別表の5のアミノ酸の結合体と縮合したものが、別表の1のエルカトニンである。

債務者製造方法については、次のとおり分けて考えることができる。

(一) 縮合

別表の4の化合物と別表の5の化合物の縮合。

(二) 環化

保護基を有する別表の3の化合物に、別表の6のジフェニルリン酸アジドを作用させて、別表の4の化合物を生成させる環化反応。

(三) 保護基の脱離

右(一)の縮合及び右(二)の環化において使用された保護基を脱離する工程。

(四) 目的物質

別表の1で表されるエルカトニン。

右のとおり、債務者製造方法は、本件発明における方法と、右(二)の環化反応における原料並びに反応過程が明白に異なるから、本件発明の技術的範囲に属さない。

2  債権者の反論

債務者シオノケミカルが債務者製造方法によってエルカトニンを製造している旨の債務者らの主張を裏付けるための疎明資料として提出された疎乙第一〇八ないし第一一一号証は、以下の理由によって到底信用できないから、債務者らが、債務者製造方法によってエルカトニンを製造しているものと認めることはできない。

(一) 疎乙第一〇八号証にいうフラグメントBについて

債務者らは、仮処分決定前の審尋手続きにおいて、債務者シオノケミカルがフラグメントBを製造していたと一貫して主張していたが、その後提出された疎乙第一〇八号証によれば、このフラグメントBは米国のペニンステなる会社からこれを購入して使用しているということである(同号証五頁、一一六頁)。したがって、新証拠に示された方法と従来の方法とは明らかに異なっている。債務者らは、フラグメントBが使用されていること自体にはなんら相違はないと主張しているが、債務者らには、もともとフラグメントBの製造能力などなく、ただ、他から購入した製品を用いて一回限り、公証人立会い実験に使用した可能性がある。今後もペニンスラ社がこの特注品を継続的に製造し、かつ、これを債務者らに供給し続けることが可能なのか否については、何も明らかにされていないので、右購入の事実をもって、債務者らが将来もフラグメントBを用いてエルカトニンを商業的に製造しうる保証をなんら示唆するものではない。

(二) 同フラグメントAについて

フラグメントAに関しても債務者の主張するその製法は明らかでない。

まず、疎乙第一〇八号証によれば、公証人は、同号証の二九三頁「提出資料4 反応工程説明図(2)」記載の工程1ないし8のうち、単に7及び8に立ち会ったにすぎない。したがって、このフラグメントAの原料を一体どのようにして入手したのかについてな同号証の記述からは明らかではない。

債務者によると、フラグメントA製造の出発物質のうち、アミノスベリン酸誘導体の原料であるアミノスベリン酸は、すべて「キマニ」社からの輸入によっているということであったが(疎乙一四ないし一六、六九の一、二、六)、その輸入の事実を証明する通関書類等の提出がなされておらず、しかも、その後同社は架空会社であることが判明しているし(疎甲三九)、公証人の立会い実験に用いたものについては、購入先を明らかにできないとしている。また、同じくフラグメントA製造の出発物質であるBoc-Val-Leu-Gly-OH(以下「a物質」という。)についても、従来は、「キマニ」社からの輸入によっている(疎乙一四)としていたが、その後自ら製造したという主張に変更している。しかしながら、右物質は簡単に輸入できるのであるから、これを敢えて自ら製造したというのは奇異であるし、その上、原料の購入先を明らかにできないというのであるから、右物質を自ら製造したという債務者らの主張は極めて疑わしいものといわざるをえない。きらに、同じくフラグメントA製造の出発物質であるBoc-Ser(Bzl)-Asn-Leu-Ser(Bzl)-Thr(Bzl)-NHNH2(以下「b物質」という。)についても、従来とは全然違う製法(いわゆる「固相法」)によってこれを製造したとしているが、固相法は精製および同定が非常に煩雑であり、債務者らが固相法によるペプチド合成の能力を有していたことには大きな疑問がある。

結局、以上の疑問点からすると、そもそも、右工程1ないし6が実際に行われているのかどうか自体疑問であり、債務者らがフラグメントAを提出された疎明資料通りに実際に使用したのか否かは明らかではなく、少なくとも今後の商業生産の可能性については、これを到底疎明しうるものではない。

(三) 疎乙第一〇七号証及び同第一二三号証について

疎乙第一〇七号証によれば、平成三年「六月二日に全ての作業を終了し、エルカトニン原末(ヘロット番号DR2OEL)約一八〇mgを製造」したということである。しかし、疎乙第一二三号証によれば、右ロット番号のエルカトニンは、同六月三日から製造に取りかかったと記載されており、両者は矛盾している。もし、債務者らが本当にエルカトニンを製造しているのであるなら、右のような矛盾は生じなかった筈である。

(四) 疎乙第一一〇号証の二の二頁以下のHPLCチャート図について

右一連のチャート図を見ると、サンプル6、7、8はいずれも多量の不純物が検出されているが、最終のサンプル10で急に不純物が殆ど見られなくなっており、極めて不自然である。

サンプル6はフラグメントAとフラグメントBとの合成による保護エルカトニンのサンプルであるということであるが、このチャート図を見れば明らかなように、生成されたとする「保護エルカトニン」の純度があまりにも低く、未反応のフラグメントA及びフラグメントBが相当量残存していることが窺われる。

サンプル7は、右保護エルカトニンにフッ化水素処理を行ったものであるということであるが、このサンプル7も、前述のサンプル6と同様、チャート図に数え切れない程の不純物を示すピークが見られ、この工程段階で生成したとされるエルカトニンが極めて少量であることを示している。このチャート図をもとに当該エルカトニンの生成率(すなわち、サンプル7のエルカトニンを示すと思われる保持時間三一分付近のピークを有する部分の面積を当該チャート図のピークの全面積で除した値)を試算してみると全体の約七パーセントに過ぎない。

サンプル8は、前述サンプル7にイオン交換クロマトグラフィーを行ったものをサンプリングしたということであるが、このイオン交換クロマトグラフィーにおけるピークの取り方には、疑問点がある。すなわち、疎乙第一〇八号証の二一三頁によると、今回の立会い実験においては、試験管番号四一番目かち六二番目まで、すなわち同三七九頁の図における一番右側にある山をピークとして分画しているが、すでに提出済の疎乙第二二号証によると、同じイオン交換クロマトグラフィーにおいて左側の山を「ELC」(エルカトニン)としているのである。したがって、疎乙第二二号証が正しいとすると、今回の立会い実験における当該工程の段階で、実はエルカトニンではないものを分析しているのではないかという疑問があるのである。

このように、各チャート図に不純物が異常に多く見られていることからして、サンプル6、7及び8はいずれも所望のとおりのエルカトニンが生成されているものなのか疑わしい。しかも、途中で行われているイオン交換クロマトグラフィーにおいてその分取した部分に疑問がある。にもかかわらず、最後のサンプルの10で突如きれいなエルカトニンが生成されている。これはいかにも不自然であり、最後の段階で「突如エルカトニンができた」という感が拭いきれない。しかも、そのサンプル8からサンプル10に至る過程において、どのようにこれらが精製されていったのかについては、これらのチャート図からは全く明らかにされていない。けだし、サンプル8と10との間にあるサンプル9のチャート図が、他のサンプルのチャート図に比べても明らかなように、ベースラインが正常でなく、しかも各チャートの山が非常に小さいために、ピークの部分が殆ど分からないからである。何故この重要な部分についてのチャート図がこのような非常識なものなのかは不明であるが、ここに何か作為的なものがあるのではないかと疑わざるをえない。

以上のように、サンプル7と8との間に行われたというイオン交換クロマートグラフィー、サンプル8と9との間に行われたという逆層クロマトグラフィー、およびサンプル9と10との間に行われたというゲル濾過クロマトグラフィーの各工程が、現実に実施され、本当に精製されたのかについては不明としか言いようがない。

(五) 収量について

前述のサンプル7におけるエルカトニンの生成率が七パーセントであるとすれば、フラグメントBの使用量および保護エルカトニンの収量をもとに当該立会い実験におけるエルカトニンの予想収量を計算すると、精製・採取のロスを考慮せず、当該保護エルカトニンからそれが一〇〇パーセント回収されたとしても、最大で一〇〇mgしかエルカトニンを得ることはできない(債権者準備書面(九)参照)。

ところが、疎乙第一〇八号証の記載からすると、当該製造工程においては、最終的にエルカトニンがその倍近くの約一八〇mg生成されていることになる。

すなわち、この二二六頁によると、工程3-07における逆層カラム精製作業により生じた三〇mgのうち、公証人立会い実験ではその三分の一の一〇mgのみを対象としている。したがって、当該立会い実験により、最終的に生成されたエルカトニンの収量を三倍すれば総製造量が算定されることになる。

そして、この立会い実験では、当該一〇mgについて精製を進める中で、その濃縮液を一番から三番の各バイアルびんに三等分し(二五九頁)、さらに作業が進行し、同二六六頁によると、最終的にはエルカトニンが一番のびんに〇・〇一八〇g、三番のびんに〇・〇二〇五g、それぞれ生成されたということである。

従って、一個のバイアルびんで約〇・〇二gのエルカトニン、すなわち本件立会い実験では〇・〇二gの三倍の約〇・〇六gが生成されていることになり、全体ではその三倍の〇・一八g(一八〇mg)生成する勘定になる。

債務者らは、俵権者の右主張に対して、自らの計算結果を示し(債務者ら準備書面(一〇)参照)、六七五mgのエルカトニンを得ることを推定できるとしたが、右推定は、サンプル6に含まれる保護エルカトニンが全体量の七パーセント程度であるのに、このサンプル6の物質全てが保護エルカトニンであるという誤った前提に立つものであって、明らかに誤りである。

以上のように、前述のチャコト図やピークの取り方ばかりではなく、その収量の計算からみても、債務者らの製造方法によって最終的にその主張の量のエルカトニン(サンプル10)が生成されたのかどうか疑わしく、債務者らが認めているサンプル8と9との間における「封印漏れ」(後述)の事実と合わせて考えると、サンプル8からサンプル10の過程のどこかでエルカトニンそのものが混入された蓋然性が大と考えられるのである。

(六) 封印の欠落

疎乙第一〇八号証の二二九頁によると、(サンプル8採取後の工程である)3-07逆相カラム工程は二回にわけて行われたということであるが、この内第一回目の注入分取液が在中している四〇本の試験管は、白色の試験管立てから針金枠の別の試験管立てに移されている(写真丁一八六)。そして、もとの白色の試験管立ての空白部に、第二回目の分の試験管が並べ直され、これらはフラクションコレクターにセットされ、出窓戸棚に置かれ、そのガラス扉の把手に封印がされている(二三〇頁。写真丁一八七、一八八)。しかし、針金枠に移し替えた第一回目の四〇本の試験管については封印されたという記載はどこにもなく、また右写真からすると、この戸棚の中にはこの第一回目の試験管類は置かれていない。すなわち、この分については、なぜか封印がなされていないのである。

その後、公証人は、午前一一時二五分から午後一時まで当工場を離れており(二三一ないし二三三頁)、その午後からの作業において、針金枠の試験管立てにセットされた第一回目の試験管類は、単に「出窓に出して」(二三四ないし二三五頁、写真丁一九四)次の工程に用いられているのであって、この約一時間半の間封印されずに放置されていたことは明らかである。

次いで、この第一回目の分と第二回目の分とは混合され(二三六ないし二三七頁)、結局この混合されたものはサンプル9、さらにサンプル10となるのである。何故ここで封印がなされなかったのか、そしてこの放置された試験管類はどうなったのか全く不明である。この段階でエルカトニンが混入されれば、サンプル10は当然エルカトニンであることを示すことになり、同時にチャート7から計算される量よりも多くの目的物質が得られることとなる。

(七) 以上のように、債務者が提出した疎乙第一〇八ないし第一一一号証には基本的かつ重大な疑問点が多数あるから、到底信用できない。

3  債務者の再反論

(一) フラグメントBに関して

疎乙第一〇八ないし第一一一号証に示された製造においては、フラグメントBとして、米国のペニンスラ社製のものを購入して使用しているが、このことと、従前の製造においてフラグメントBを自社製造していたこととはなんら矛盾するものではない。すなわち、フラグメントBとして自社製造品を使用するか、購入品を使用するかは、製造上の選択の問題にすぎず、フラグメントBを使用していることに変わりはないわけであるし、債務者の主張によれば、DPPAを用いたフラグメントAの環化反応工程にこそ、本件特許方法と相違する債務者製造方法の特徴があるわけであるから、フラグメントBに出来合いのものを用いても、債務者製造方法の疎明にとってなんら本質的なことではないのである。債務者としては、フラグメントBについて、自社製造のものを使用することも可能であったが、原料の入手経路について、債権者側から理不尽な疑問が呈せられていたため、そのような瑣末なことで本題が反らされることを避けるためにも、第三者が製造したできあいのものを使用することが良いとの判断のもとに、今回は敢えてペニンスラ社から購入したものを使用したにすぎない。

(二) フラグメントAについて

フラグメントAの製造工程では、工程6以前については、債務者自身によって行われたものであり、この工程については、疎乙第一一六号証の一ないし四の製造記録および疎乙第一一七号証の一、二の製造指示書によって明らかである。右製造記録に記載の出発原料は、全て以前から購入しておいたものを使用している。なお、右出発原料の購入先については、取引先会社の関係で明らかにできないが、これらの原料を使用してフラグメントAを製造したことは、疎乙第一〇八号証の公正証書および疎乙第一一〇号証の検体(サンプル)の分析結果からも明らかである。また、本件審理において重要なことは、個々の原料の入手先を明らかにすることではなく、間違いなく債務者主張のとおりの原料が使用され、債務者主張のとおりの製造方法によってエルカトニンが製造されていることを確認することである。

(三) 疎乙第一一〇号証の二の二頁以下のHPLCチャート図に関して

債権者は、サンプル6ないし10のHPLCチャート図について、「急に不純物が殆ど見られなくなっており、極めて不自然である」と主張しているが、右記チャート図の変化として不純物が徐々に低減されていっているのであって、またイオン交換カラム精製以降のサンプルのチャートは、所定の分画を分取したものを分析しているため、見方によってはあたかも突然不純物が無くなったかのように見えることは当然といえば当然のことである。

また、サンプル8は、HF処理後のエルカトニン(サンプル7)にイオン交換カラム処理を行ったものであるところ、債権者は、この際のピークの取り方に疑問を呈しているが、疎乙第二二号証においても、カラムより流出する溶出液ピークの内の第三ピーク群を分取しているのであって、本件チャート図に示した第三ピーク群の分取と変わるところはない。また、この第三ピーク群を分取することは、他の製造時においても同様である。勿論、カラムの大きさ、濃度等の条件によってピークの大きさや形が相違することはいうまでもないことである。

また、債権者は、サンプル9のチャート図について、ベースラインが他のチャート図と異なることを指摘しているが、これは分析上の理由によるものであって、特別に異常なことではない。まして、このチャート図に見られる分析について、債務者の作為が介在する余地はまったくない。なぜなら、このサンプル9の分析は、著名な民間分析センターである東レリサーチセンターに依頼して行われたものあるから、債務者の作為は及びえないのである。そして、疎乙第一一九号証の東レリサーチセンターの報告に見られるように、このチャート図のベースラインの変動は、記録倍率を変更したことによるものである。

(四) 全体収量について

債権者は、サンプル7のチャート図の面積比率から、エルカトニンの生成率を算出すると、全体の七パーセントに過ぎず、債務者製造工程での最終理論収量との合理性がないと主張し、サンプル8から10の過程のどこかでエルカトニンそのものが混入されたとの推測さえ行っている。しかし、このような推測は、不合理なものであって、理由のないものである。すなわち、債権者が前提としている右七パーセントは、面積百分率法という方法から導いたものであるが、この手法には、チャート図に表される各ピーク面積の検出感度が類似していなければならないという大前提がある。すなわち、検出されるピークの物質が同定されていなければならないのである。しかしながら、右チャート図は、クロマトグラフィーのパターンを使ってエルカトニンが精製されていく様子を示すための定性的なものであり、面積百分率法による定量分析を目的としていないから、チャート図に表される各ピークについての同定を必要としておらず、実際同定されていないのである。したがって、七パーセントという数字を示した債権者の推定には、検出されるピークの物質が同定されていなければならないという大前提が欠けているから、合理的なものとは言えないのである。

債務者製造方法におけるエルカトニンの生成収量については、その前提が欠けている面積百分率法によって算出するまでもなく、疎乙第一一〇号証の一において分析結果が明らかなアミノ酸分析値によって算出することができ、これによれば、エルカトニン収量の算出の結果になんら不合理な点はないのである。

アミノ酸分析は、タンパク質等アミノ酸によって構成されている物質中のアミノ酸の種類や量などを調べる方法であり、この方法を用いることによって、反応の前後のペプチドを構成するアミノ酸の種類と量がわかり、反応によって生成したペプチド生成物の収量が算出される。そして、サンプル6をアミノ酸分析することより、フラグメントAとフラグメントBの縮合反応生成物がエルカトニンであることが判り、同時に構成アミノ酸の量により、エルカトニンの収量を合理的に算定することが出来る。サンプル6のアミノ酸分析からのエルカトニンの推定収量は六七五mgとなる(債務者ら準備書面(一〇)参照)から、債務者のエルカトニン収量の算出の結果にはなんら不合理な点はない。

(五) 封印の欠落について

債権者指摘のとおり、サンプル8採取後の工程において、封印の欠如があったことは債務者も認めるが、慣れない作業下での債務者側のミスに過ぎず、債権者が主張するような「エルカトニンの混入」などということは決してない。

二  債務者ら主張の債務者製造方法は、本件発明の技術的範囲に属するか。

1  債務者らの主張

債務者製造方法は、次に述べるとおり、本件発明の技術的範囲に属さない。

(一) 債務者製造方法は、本件発明にかかる方法と、環化反応における原料ならびに反応過程が明白に異なるものである。すなわち、〈1〉本件発明の環化反応の反応部位は、活性エステル基(-COOR)であるのに対し、債務者製造方法のそれはカルボキシル基(-COOH)である点、〈2〉その反応過程において、本件発明では、ジフェニルリン酸アジド(DPPA)を存在させていないが、債務者製造方法はDPPAを存在させている点において、両方法は明確に異なるのである。

以下、この点に関して詳述する。

(二) 本件発明は、「反応の任意の過程で生成された請求式(2)(式中、Rは活性エステル残基を示す)を含む構成単位を環化反応に付」すことをその必須の要件としているものである。すなわち、請求式(2)中の「R」として、「活性エステル残基」を有する構成単位を環化反応に付すことが本件発明の特徴なのである。そして、右「活性エステル残基」は、本件発明の明細書の実施例1及び2に具体的に例示されている活性エステル残基以外は含みえないのである。

一方、債務者製造方法は、DPPA(ジフェニルリン酸アジド)の存在下で、

〈省略〉

の構成を有するペプチドを環化反応させ、

〈省略〉

の環化構造を生成させることをその要件としている。

右両者を比較すると、債務者製造方法は、

(1) 本件特許方法のように、-COOR(Rは活性エステル残基)を反応部位として環化反応させるものではなく、DPPAによるカルボキシル基(-COOH)とアミノ酸(-NH2)との縮合によるアミド結合形成反応である点

(2) DPPAによるこのアミド結合形成反応を、環化反応として行うものである点

の2点において、本件発明とその構成を全く異にする。

このように、債務者製造方法は、DPPAによる環化反応を特徴とするものであるが、このようなDPPAの存在下での環化反応は、本件発明の明細書の「発明の詳細な説明」に開示も示唆もされていないものであるうえ、本件特許の出願時の技術常識によって開示も示唆もされていない方法であると考えられるから(疎乙一二四ないし一三六等)、本件発明の技術的範囲に属さないことは明らかである。

この点、債権者は、DPPAによるアミド結合形成の過程でその生成が考えられるとされる別紙のⅠの物質は「活性エステル」であるとし、その主張に沿う疎明資料(疎甲四三、四四)を提出し、特許法第一〇四条による推定を覆すためには、債務者製造方法が、「活性エステル」の形をとらずに環化反応を行うものであることを債務者の側で疎明しなければならない旨主張するが、かかる債権者の主張は以下に述べるように不当である。

まず、右別紙のⅠの物質は、リン酸との混合無水物として想定される構造(別紙のⅡ)とともに示されたものであって、あくまでも「考えられた」だけのものに過ぎず、実際にその構造の同定も単離もされていないものにすぎないから、かかる構造を前提にして議論をすることはできない。また、疎甲第四三号証(塩入教授の意見書)に述べられた右構造は、実際の技術者の常識としては「活性エステル」と呼ばれることはなく(疎乙一二四ないし一三六、一三九)、しかも、疎甲第四三号証の意見書を書いた塩入孝之教授自身が、自らが記述した学術研究論文(疎乙九二)において、右別紙のⅠを、「アジド部分がついた混合酸無水物」あるいは「(A)型の混合酸無水物」と規定しているのであるから、結局右別紙のⅠを「エステル」と呼ぶことはできないのである。

2  債権者の主張

本件発明は、「反応の任意の過程で生成された請求式(2)(式中、Rは活性エステル基を示す)を含む構成単位を環化反応に付す」ことを要件としているのであるから、債務者方法の反応の過程で右式を含む構成単位が環化反応に用いられさえすれば、それはまさに本件発明の方法の実施そのものに他ならない。

本件発明の要件においては、右条件以外の点について格別の限定を加えていないのであるから、たとえ債務者らがどのような手段を加えようとも、またいかなる縮合剤を用いようとも、その環化の過程において-COOR(活性エステル)を経由した場合には、本件特許発明の技術的範囲に入るのである。そして、債務者製造方法が活性エステルを経由していることは疎甲第四三号及び第四四号証によって明らかである。

しかも、債務者らは、「DPPAによる環化反応は活性エステル法には含まれない」とただ繰り返すばかりであり、右DPPAによる環化反応がどのような反応経路を経て環化するのかについては、何ら明らかにしていないから、債務者方法が本件発明の技術的範囲に含まれないことを主張疎明したことにはならない。

なお、債務者らは、別紙のⅠの物質が「あくまでも『考えられた』だけのものにすぎず、実際にその構造の同定も単離もされていないものにすぎない」と主張するが、そもそも、債務者自身が、自ら疎乙第九二号証や同第九六号証として、右物質を裏付ける書証を提出しているのであるから、右の債務者の主張は不当である。また、債務者らは、疎乙第一三九号証を提出し、同物質は、「エステル」ではないと主張するが、問題はそれがペプチド合成において「活性エステル」とされているものの一種として評価できるか否かであり、その点について全く言及していない同号証が債務者らの主張を支持するものとはなりえない。

第四  争点に対する判断

一  本件薬品の原末であるエルカトニンは、債務者製造方法によって製造されているか。

1  後記疎明資料及び弁論の全趣旨によれば、債務者らは、従前、債務者シオノケミカルや同大洋薬品によるエルカトニン製造方法の骨子について、次のように主張し、その旨疎明してきたことが明らかである。

(1) エルカトニン製造は、フラグメントAの製造工程、フラグメントBの製造工程及び両フラグメントを結合合成する工程の三工程に大別されること(債務者準備書面(三)4頁)。

(2) 債務者シオノケミカルは、フラグメントAの出発原料であるa物質、b物質及びアミノスベリン酸については、キマニ社から購入していたこと(債務者準備書面(四)8頁、疎乙一四ないし一六等)。

(3) 債務者シオノケミカルは、原料を購入したうえ、フラグメントBを固相法により合成してきたこと(債務者準備書面(四)9頁、疎乙二、五、二一の一ないし一二、五八、六二等)

(4) 債務者シオノケミカルにより右のようにして製造されたフラグメントA及びフラグメントBを、平成二年九月一二日頃までは債務者大洋薬品工業が結合合成し、右の頃以降は債務者シオノケミカル自身が結合合成し、エルカトニンを製造していたこと(債務者準備書面(三)4頁等)。

2  債務者らは、その後、債務者シオノケミカルや債務者大洋薬品工業のエルカトニン製造方法は、疎乙第一〇八号証のとおりであると主張するので、この点について検討する。

(一) 同号証及び後記疎明資料並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

(1) 疎乙第一〇八号証における製造(以下「公証人立会い実験における製造」ともいう。)においては、フラグメントBは、米国のペニンスラ社製の市販のものを購入使用したこと(同号証一一六頁)、

(2) 同号証における製造に立ち会った公証人は、フラグメントAの同号証二九三頁反応工程説明図(2)記載の工程1から8のうち、7及び8についてのみ立ち会い、工程1ないし6については立ち会っていないこと、

(3) 同号証における製造の立会人である債務者シオノケミカルの社員は、公証人に対し、工程6-01で使用されるフラブメントAの原料について「本日から使用する原料です。」「ここまでは既に作ってあったものである。」と説明していること、

(4) フラグメントAの出発物質は、アミノスベリン酸誘導体、a物質及びb物質であり(反応工程説明図(2)記載)、右a物質及びb物質並びにアミノスベリン酸誘導体の原料物質であるアミノスベリン酸の購入先は明らかではなく、債務者らはこれらの購入先を明らかにできない理由を「取引先会社の関係で明らかにできない」と説明していること、

(二) フラグメントBについて

前記1(1)の事実及び右2(一)(1)の事実によると、疎乙第一〇八号証における製造方法と従前の製造方法とでは、フラグメントBの調達方法が異なり、この一点からも、疎乙第一〇八号証における製造方法が、債務者シオノケミカルにおいて現実に実施しているエルカトニンの製造方法でないことが明らかである。

債務者らは、この点について、「原料の入手経路について債権者から理不尽な疑問が呈せられていたため、そのような瑣末なことで本題が反らされることを避けるためにも、・・・・今回は敢えてペニンスラ社から購入したものを使用したにすぎない。」と主張するが、債務者らの右主張は、公証人立会い実験における製造においてのみ特別にペニンスラ社製のフラグメントBを使用したこと、通常の製造では依然としてフラグメントBを自社で製造するとするものであること、ひいては疎乙第一〇八号証は債務者シオノケミカルにおいて採っているエルカトニンの製造方法を未だ開示したものではないこと、この三点を自認する意味しかなく、公証人立会い実験における製造において、三つに大別される工程のうちの一つについて従前の製造方法と異なった手段を採ることを理由付けるものではないというべきである。

(三) フラグメントAについて

右2(一)(2)ないし(4)の各事実及び後記認定事実からすると、フラグメントAについて、債務者シオノケミカルが出発物質であるa物質、b物質及びアミノスベリン酸から債務者主張の全工程を経て合成しているか否か、疑問があり、未だこの点の疎明は十分でないといわざるをえない。

疎甲第三九号証によると、前記1(2)において債務者らがa物質、b物質及びアミノスベリン酸の購入先とする「キマニ」社については、「単にレターボックスを持つだけの純粋のペーパーカンパニーである」であることが認められ、この認定を左右するに足りる疎明資料はないから、債務者シオノケミカルが従前の製造方法において用いられるフラグメントAの原料物質をどこから調達していたのかについては、未だ明らかでないものといわざるを得ない。また、公証入立会い実験に用いられた原料に関してもどこから購入したのか不明であって、この点に関し、債務者は「取引会社との関係上購入先を明らかにできない」と説明するが、従前においては、原料の購入先が「キマニ」社であることを明らかにしておきながら、同社がペーパーカンパニーである旨を指摘されるや、購入先を明らかにできないとするのは不自然であるといわざるを得ない。また、a物質については、従前の製造方法においては購入していたのに対し、公証人立会い実験においては自ら製造しているとするものであって(疎乙一一六の二、一一七の一)、このような変更を根拠付ける事情は見当たらない。

これらの点に、前記のとおり、公証人がフラグメントAについては工程7及び8に立ち会ったにすぎないこと、工程1ないし6について公証人の立会いを得ておらず、このことについて合理的な説明はないこと等を合わせ考えると、債務者シオノケミカル作成の疎乙第一一六号の一ないし四及び第一一七号証の一、二は存在するものの、これらによっては未だ債務者シオノケミカルにおいてフラグメントAを前記の各出発物質から製造していた事実を認めることはできないといわざるをえない。

(四) 封印もれ及びチャート図等について

サンプル8の採取後の工程に封印もれが存したことは、債務者らも認めるところ、疎乙第一〇八号証によればサンプル9の採取前の封印のされない試験管が、針金枠の試験管立てに立てられ、放置された後、公証人が次の工程の始まる午後一時までの間一時実験場所を離れていることが認められ、また疎乙第一一〇号証によれば、サンプル9のチャート図は、他のサンプル6ないし8及び10のチャート図がかなり似通った形状をしているのに比べて、全く異なった形状をしていることが認められるのであって、これらの事実からすると、公証人立会い実験により最終的に生成されたエルカトニンの全てが、フラグメントA及びフラグメントBから債務者らの主張する製造方法で生成されたものであるかどうかは、かなり疑問が残るといわざるを得ない。

3  物を生産する方法の特許発明において、その物がいわゆる新規物質である場合、これと同一物質については、特許法一〇四条により特許発明の方法により生産したものと推定されるところ、この特許法一〇四条の推定を覆すためには、債務者らが当該物質の製造に当たり現実に採っている具体的製造方法を開示することを要するのであって、特許発明における方法とは別方法により当該物質を製造できることを実験的に明らかにしても、右推定を覆すことができないのはいうまでもない。

債務者がエルカトニンの製造方法であるとして主張する疎乙第一〇八号証における製造方法は、前記説示のとおり、開示内容自体十分ではないうえ、開示しようとしている方法も債務者シオノケミカルが実際に採っている製造方法ではないことが明らかであるから、未だ特許法一〇四条の推定を免れることはできないというべきである。

二  更に、疎乙第一〇八号証における債務者製造方法が本件発明の技術的範囲に属するか否かについても、判断しておくこととする。

債務者らは、債務者製造方法においてはジフェニルリン酸アジド(DPPA)を存在させ、その環化反応部位がカルボキシル基(-COOH)であって、活性エステル基(-COOR)でないから、債務者製造方法は本件特許発明の技術的範囲に含まれない旨主張するので、検討する。

1  疎明資料によれば、次の事実が認められる。

(一) 本件特許請求の範囲記載の「活性エステル残基R」は、基本的にはCOOR基の残基Rであり、そのCOOR基が活性エステル基であるものを指すことが認められ、この活性エステル基(COOR基)は、ペプチド合成の分野で活性エステル基と呼ばれる基を示すものであって、アルコールやフェノールなどのヒドロキシル基とカルボキシル基との反応により生成する、いわゆるエステル基に限定されないというべきであり、また本件明細書の発明の詳細な説明は「活性エステル」と「酸無水物」とを区別しているから、ペプチド合成の分野で酸無水物基として取り扱われるものはCOOR基に該当しても「活性エステル」に該当しないものと認められること

(二) ジフェニルリン酸アジド(DPPA)を用いた縮合法の場合、それがたどる反応過程は、DPPAによって、主に、五価の燐化合物(別紙のⅠ)に活性化され、目的とするアミド結合を形成するものであって、微量は混合酸無水物(別紙のⅡ)となるが、酸アジド(別紙のⅢ)を経由することは極めて少ないこと(疎甲四三)

(三) 別法で混合酸無水物を合成した後でのテストの結果は、DPPA法に比べて、収率及び光学純度がより劣ることが、DPPAによる縮合法の反応機構に関する学術論文であるChem.Pharm.Bull.、22 855(1974)に記載されていること(疎甲四四、疎乙九六)

(四) 別法で酸アジドを合成した後でのペプチド合成法と対比すると、DPPA法の収率が高いことが論文(Chem.Pharm.Bull.、30 3147(1982)疎甲第四四号証に引用された論文〈6〉)に発表されており、このことから、酸アジドを経由するのは主反応経路ではないこと(疎甲四三、四四)

(五) 五価の燐化合物は、活性のCOOR基を有するということから、またぺプチド合成分野の専門家が「活性エステル基」であると判定していること(疎甲四三、四四)からも、本件特許請求の範囲にいう「活性エステル」であると認められること

2  右各事実に、債務者らはDPPAを用いた債務者製造方法における反応経路について適切な主張疎明をしていないこと(債務者らは右反応経路についてアジド法を主張しているものの、これは塩入教授の論文の誤解に基づくものであって採用することができない。)を併せ考えると、環化の反応過程において、DPPAを用いた場合、その反応は、五価の燐化合物を経て、目的とするアミド結合を形成するという経路をたどるというのが主反応経路であって、かつ五価の燐化合物は、本件特許請求の範囲にいう活性エステルであることが認められる。したがって、環化の反応過程においてDPPAを用いる債務者製造方法は、その環化反応部位が本件特許請求の範囲にいう「活性エステル基」であると認められる。

3  債務者らは、別紙のⅠに示された構造は、リン酸との混合酸無水物として想定される構造(別紙のⅡに示された構造)とともに示されたものであって、飽くまで「考えられた」だけのものにすぎず、実際にその構造の同定も単離もされていないものにすぎないから、かかる構造を前提にして議論をすることはできないと主張するが、疎甲第四三号証で引用された論文〈2〉(Chem.Pharm.Bull.、22 855(1974))は、「ジフェニルホスホルアジデートによるペプチドの合成機序について」、という表題の学術論文であり、前記のような内容から、五価の燐化合物による協奏的反応を推論しているのであって、この推論には合理的な根拠があるから、単に「考えられた」だけのものにすぎないということはできない。

また、債務者らは、疎甲第四三号証の意見書を書いた塩入孝之教授が、自らが記述した論文(疎乙九二)において、五価の燐化合物を「アジド部分のついた混合酸無水物」等と記載しているから、右構造を「エステル」と呼ぶことはできないと主張し、なるほど、疎乙第九二号証においては、疎甲第四三号証において述べられている別紙のⅠの化合物が「アジド部分のついた混合酸無水物(A)」、別紙のⅡの化合物が「アジド部分の脱離した混合酸無水物(B)」と表現されていることが認められる。しかしながら、本件発明の特許公報(疎甲二)の第6欄の42行から第7欄の10行には、本件発明におけるカルボキシル基の活性化に用いられる活性エステルが例示されているが、そのなかに含まれるp-ニトロフェニルエステルは、酸であるカルボキシル基と同じく酸であるパラニトロフェノールとの混合無水物といえる構造の化合物であって、本件発明における活性エステルには、混合酸無水物といえる構造の化合物も含まれるものといわなければならない。したがって、塩入教授が、自らの論文(疎乙九二)において、五価の燐化合物を「アジド部分がついた混合酸無水物(A)」と表現しているからといって、右構造が本件発明にいう「活性エステル」でないということはできない。

さらに、債務者らは、実際の技術者の常識としては、五価の燐化合物は「活性エステル」とは呼ばれないとも主張する。しかし、その根拠として挙げた、疎乙第一二四号証ないし第一三六号証の特許公報中に記載された活性エステルは、いずれも例として示されているにずぎず、特許公報中に記載されたものに特に限定される趣旨とはとうてい解しえないから、右疎乙号各証の存在によって直ちに、実際の技術者の常識として、五価の燐化合物が「活性エステル」とは呼ばれないということはできない。

また、疎乙第一三九号証中には、五価の燐化合物は化学的一般通念上エステルとは扱われない旨記載されているが、本件特許発明の詳細な説明に開示されている「ペプチド合成における活性エステル」においては、縮合の対象は、アルコール(又は、フェノール)に限らず、メルカプタン(C-SH)または、N-ヒドロキシ基(N-OH)でもよいとされていることが認められる(疎甲二)から、「ペプチド合成における活性エステル」は一般的な化学通念に基くエステルとは若干内容を異にするものと解されるのであって、五価の燐化合物を「活性エステル」でないということはできない。

4  以上のとおり、本件五価の燐化合物は活性エステルと扱われるべきであり、DPPAを活性化剤として使用する債務者製造方法の環化反応は、主として、五価の燐化合物を経由して反応が進むと考えられるから、債務者製造方法の環化反応部位は、活性エステルであると認められる。

5  本件特許発明の要件(二)においては、「反応の任意の過程」で生成された請求式(2)を含む構成単位を環化反応に付することを要件とし、生成方法には何らの限定も加えていないから、右記式は、「反応の任意の過程で生成」されればよく、その生成に活性化剤を使用する態様を本件発明が除外していると解する根拠はない。したがって、環化反応過程においてDPPAを使用しているからといって、そのことのみで、債務者製造方法が、本件発明の方法と異なるということはできない。

そして、債務者製造方法が、環化の過程において、活性エステル(-COOR)を経由した場合には、同要件を充足すると解するべきであるところ、債務者製造方法のうち、「別表の3の化合物に、DPPAを作用させて、別表の4の化合物を生成させる環化反応」は、別表の3の化合物が、請求式(2)を含む化合物であることは明らかであり、それをDPPAの存在下で環化反応に付し、その反応は、主として、活性エステルであると認められる五価の燐化合物を経由すると考えられるのであるから、本件発明の要件(二)を充足することは明らかである。

さらに、債務者製造方法が本件発明の他の要件(一)、(三)及び(四)を満たすことは、当事者間において争いがないから、結局のところ、債務者製造方法は、本件発明の技術的範囲に属するものと認めることができる。

第五  結論

以上のとおりであるから、本件発明については特許法第一〇四条の適用があるところ、債務者製造方法の開示は不十分であるといわざるを得ないし、また仮に債務者製造方法の開示が十分であるとしても、同製造方法が本件発明の技術的範囲に属しないとはいえないから、本件各仮処分決定は正当である。

(裁判長裁判官 一宮和夫 裁判官 足立謙三 裁判官 前川高範)

物件目録

左記化合物を含む製剤(商品名「ラスカルトン注一〇」及び「ラスカルトン注四〇」)

化学名

1-ブチリック アシッド-7-(L-2-アミノブチリックアシッド)-26-L-アスバルチック アシッド-27-L-バリン-29-L-アラニンカルシトニン(サーモン)

化学式

〈省略〉

上記の略記号の意味は次頁の通りである。

Ser:L-セリン

Asn:L-アスバラギン

Leu:L-ロイシン

Thr:L-スレオニン

Val:L-バリン

Gly:グリシン

Lys:L-リジン

Gln:L-グルタミン

Glu:L-グルタミン酸

His:L-ヒスチロシン

Tyr:L-チロシン

Pro:L-ブロリン

Arg:L-アルギニン

Asp:L-アスバラギン酸

Ala:L-アラニン

別紙

〈省略〉

別表

〈省略〉

略号 アミノ酸名

Ser:L-セリン

Asn:L-アスバラギン

Leu:L-ロイシン

Thr:L-スレオニン

Val:L-バリン

Gly:グリシン

Lys:L-リジン

Gln:L-グルタミン

略号 アミノ酸名

Glu:L-グルタミン酸

His:L-ヒスチロシン

Tyr:L-チロシン

Pro:L-ブロリン

Arg:L-アルギニン

Asp:L-アスバラギン酸

Ala:L-アラニン

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